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2022.10.12

1983年7月26日火曜日

am 7時15分ごろ。

舘山寺村櫛ユースホステルにて。

今日はこの旅で一番の寝坊であります。

起きたのは7時ごろだろう。

同室の4人のおじさんたちはまだ寝てます。

昨日夜釣りに行っていつ帰ってきたのか全然知らない。

このおじさんたちも紳士で夜中は全然騒がなかった模様。

僕もおかげでぐっすり眠れました。

どうも昨日からお腹の調子が悪い。

水を飲みすぎたようなのであります。

しょうがないなぁ。全く。

牛乳も1リットルのパックなど飲むからだよ。

でも店に行ったら1リットルがあと1本しか置いてなかったので…。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」

それと夕食も失敗した。

かぼちゃとワカメの雑炊にしたのだが、

水の飲み過ぎでお腹が膨れてしまったので、

全部食べきれず一杯ばかり捨ててしまった。

もったいないことです。

それでこれからの朝食をどうしようか考えているのですが。

まぁトマトは食べるとして、

残ったかぼちゃをどうする?

醤油で煮て食うか?

今日これから舘山寺に行ってくる。

その後の事は知らん。

帰るかもわからんし、

またどっかフラフラ出かけるかもしれない。

聞くところによると舘山寺は曹洞宗のお寺だそうだから、

座禅を組ましてもらえるかもしれない。

7月23日にも本興寺というお寺で1人で座禅してました。

昨日は疲れているせいか、

何をする気にもならず、

日記も書かずじまいでした。

 

am 11時40分舘山寺前の喫茶店にいて。

これから舘山寺を参拝し、

あわよくば参禅させてもらいたいと思っている。

舘山寺村櫛ユースホステルからここまで6キロメートルとちょっとだった。

完全な湖沿いの歩道を歩いてきた。

2キロメートル位ずつで一休みしてきたので、

YHから2時間30分ぐらいかかってしまった。

途中、お腹の鈍痛があり、

どうしたものかと困ったが、

何とかここまで来たのだ。

さて、今日帰るかどうか。

この舘山寺に泊まれるものなら、

それもなかなか良いと思う。

歩いていて思うのだが、

目標を決めて歩く事はたいそうしんどい。

昨日なんかもユースホステルまで歩かなくちゃと思って、

わせわせと歩いたのだが、

歩いていて全然面白くなかった。

今日ここに来るまでも景色はなかなか良かったが、

やっぱり舘山寺まで行くという目的があるので、

その手段として歩くのはあまり面白くなかった。

仏教では八正道の1つに正精進というものがある。

正しい努力と言う意味だそうだ。

努力する事はどんなことにでも必要だ。

しかしそれが何かするための努力であってはならないとの事。

今日も舘山寺まで歩くために努力したけれど、

あまり面白くなかった。

しかしこれがただ好きなところへ歩くと言うのなら、

気分もまた違っていただろう。

そう歩くこと自体に喜びを見いだす。

これが1番ベストなのです。

これを勉強に例えて考えると、

勉強自体に喜びを見出す。

その過程において大学ってものがあるんじゃないでしょうか。

うん、この考え方は正しい正しい。

2022.10.11

1983年7月25日月曜日

朝。(何時かわからん)

湖畔です。

ちなみに今僕はご飯を作っているところです。

起きてからすぐ湖で泳ぎました。

少し冷たかったけど、

昨日泳いだ時よりもだいぶ水がきれいになっていました。

(濁ってないと言う事)

今はあんまり天気が良くない。

昨日も雨が降ってくるかな?心配されたところでありますが、

今のところまだいいみたい。

今日は舘山寺村櫛ユースホステルに泊まるつもりでありますが、

電話は船に乗る前にしようと思う。

もし断られたら今日も野宿ということになる。

ここは蚊はあまりないが蝿がいっぱいいてうるさい。

昨日の夜、ここで盛大な花火を見ることができた。

それにも増してきれいだったのがお月様であった。

湖面にキラキラ光が揺れてそれはそれは…。

久方ぶりに良いことをした。

寝ながら1,000,000円あったらどれくらい旅行できるか考えた。

単純計算してユースに50泊、

1日 1000円なら100日である。

なかなか面白いなと思った。

そのうちやってみよう。

1983年7月24日日曜日

PM何時だか全然わからんけど、

6時位だと思ってましたが、

今放送で6時だと言いました。

今は浜名湖。

夕食を作っているところです。

PM3時ごろここについて2泳ぎしました。

久しぶりに泳ぎました。

思っていた通り水は汚い。

だから顔をつけずに泳ぎました。

今日はここで野宿です。

現在の残高8300円。

YHに1泊すると約2000円、

電車代が約1500円だから

その他全然使わないとして

あとユースに3回泊まれる。

日暮れ前です。

やっぱり食事は日暮れ前にするのがベターでしょう。

日暮と一緒に食事をするから寂しくなるのです。

ますます日が暮れてきてだんだん暗くなって参りました。

今の明るさは何ルクス?

明日は舘山寺村櫛ユースホステルに泊まる予定です。

2022.10.10

1983年7月23日土曜日

PM1時ごろ

今は喫茶店にいます。

今日喫茶店へ入るのはこれが2度目。

最初は岡崎公園のすぐそば.

8時20分ごろ入ったので、モーニングサービスがついた.

そこから家とユースホステルへ電話した.

今日はユースホステルで泊まる予定。

浜名湖ユースホステルです。

3日連チャンで野宿すると死ぬのではないかという危惧から、

ユースホステルで泊まろうということになったのです。

今こうしてダイアリーを書いていても、

なんとなく思考力の変調をきたしていることがよくわかります。

とにかくこの二日間まともに寝ていないのです。

今日こそはしっかり寝ようと思ってます。

本当にこの季節にスリーピングバックで寝る事はまさに地獄である。

昨日は宿泊地であるY小学校の体育館で盆踊りの練習があったため、

踊り好きの僕としてはいてもたってもいられなくなり、

野宿中と言うことも忘れて、

道具その他一式をそのままにしておいて

体育館にかけて行ったのでありました。

8時半からたった30分の間で2曲しか踊れなかったけど、

とても楽しいのでありました。

タケチャンマン音頭なんか踊ってね。

その夜も寝るのは地獄でした。

まさにサウナ地獄。

電車が通るのが聞こえない位まで我慢して寝ていたので、

まぁ3時間位スリーピングバックの中にいたでしょうか。

その前日も夜中あの中に我慢して寝てたので、

今日も頑張って我慢して寝ようと思ったんですが、

次から次へと吹き出る汗を我慢できず

とうとうスリーピングバックの中から出たのでありました。

シャツもパンツもベタベタ。

さて出たはいいがこれからどうしたものかと迷いましたが、

そのまま何もかけずジャージを着て寝ることにしました。

やっぱり夏なんですね、

それでちょうどいいんです。

まぁこれで少しは楽になったかと思いましたが、

蚊のやつが靴下の上から刺すんです。

もう痒いこと痒いこと。

たまったもんではありません。

そんなもんでそれからもあんまり眠れず、

まだ夜は明けていなかったんですが起きました。

学校の時計を見た見たら3時15分位でした。

ちょっと早いかなと思ったけど起きてヨガりました。

食事の支度の途中で雨がパラパラ降ってきたので焦りましたが、すぐ止みました。

あの時は慌てて移動の準備を始めたのですが、

すぐ止んで本当によかった。

あのままザッーと降られたらどうしようもなかったなぁ。

梅雨のまだ明けきっていないこの季節、

やっぱり野宿は屋根のあるところが良いと思いました。

とにかくいつ天気が変わるのか分からないんです。

今日も曇っていながらもお月さんお星さんが見えたんですよ。

さて喫茶店は利用の仕方によってはとても有効なものです。

今は休憩がてらこうして書いているわけですが、

漫画も新聞を読めるし、

特に私のような浮浪者にとっては情報が手に入る場所になるのです。

冷たい水も飲める。

考えようによってはコーヒー代250円も安いものである。

さてこれから電車に乗って浜名湖まで行くのでありますか、

今日はすごい出費である。

ではここに今のところの予定を書こうと思う。

 

PM2時35分

美合から名道に乗り今豊橋に来ています。

初めは本宿から電車に乗ろうと思っていたのですが、

さっきの喫茶店を1時40分ごろ出たので

まぁここから乗ってしまえと乗りました。

しかし乗ってみてわかったのですが、

美合から本宿まではかなりの距離がありました。

やっぱり美合から乗ったのは正解だったのでしょう。

さっきのお金の計算に電車代を入れるとれることをすっかり忘れていました。

ちなみに美合から新居町までは610円でした。

国鉄の自販機は500円札が使えないので、

有人窓口へ入って買おうと思ったのですが、

友人窓口のガラスには自販機区間内は売らないようなことが書いてあったので、

こりゃ困ったなぁ(その時僕は500円札を手にしていたのであった)

ウロウロしたが結局札を崩すことにして牛乳を飲んだ。

だから上記の金額に70円を加えなければなりません。

ところでPM2時半に名鉄からウロウロ牛乳など飲んで切符を買っているうちに

2時26分発の電車は行ってしまったのでありました。

それでもって今は15時26分発の電車に乗るため

1時間目のホームで待ってる。

こうして座っているだけでもどっと疲れが押し寄せてくる。

今日の日暮れは1人で寂しい気分を味わう事はないだろう。

しかし別の寂しさが押し寄せてくるかもしれない。

前者を絶対的孤独感、後者を相対的孤独というらしい。

人は相対的孤独には耐えられても

絶対的孤独には耐えられるものではないと

幻魔大戦には書いてありました。

それにしても電車に乗ると出費がかさみますなぁ。

後で宿について最終的に計算すればわかると思うが、

本日の支出計は4000円を超す模様。

さぁ大変だ。

今までちびって来た分を今日一気に使っていると言う感じだ。

さてこうしていても疲れてくるのでございますが、

とにかく横になって寝たい。

できることなら畳で寝たい。

しかし今日泊まる浜名湖ユースホステルは

会員さんでないと泊まらせていただけないそうなので、

ちょっとあの恐怖の2段ベッドだね。

8人ぐらい1部屋に押し込められて。

この前のユースホステルじゃないけど

グループの中に私1人別のだったらどないしよう。

また夜遅くまでやられたらかなわんな。

たまにそーゆー礼儀知らずの人間がいるんですよ。

でも今日までの2泊のことを思えばそんなこと関係ないか。

でもきっと8人部屋の2段ベットだろうなぁ。

何しろユースなんだから。

それにしてもあったかいね。

そうそう名鉄の電車の中で考えていたんだけど、

明日からの日程どうしましょうか。

今日までは比較的安全な場所に泊めさせていただくことができたが、

とにかく野宿というのは当たり外れがあるからな。

別に野宿だけではありませんが。

そんでもっていろいろ考えたんだけど、

小学校に泊まるのはなかなか良いと思う。

とにかく水道があるのとないのとではえらい差があるからなぁ。

そんでもって地元の人に「この辺に小学校ありませんか」って

聞いてみたらいいんではないかと思った。

しかし聞かれた人は変に思うだろうな「小学校ありませんか」なんて。

それにしてもこうしてウタウタ書いてはみたものの、

まだ20分もあったりして。

何も買い物しないけどちょっと売店を覗いてこようかな。

なんて売店には夢がある。

 

PM10時過ぎ

浜名湖YHの、やっぱり2段ベッドの上段にて。

ここについてとにかくお金をたくさん使いました。

まず自炊用の椎茸。

今日はしいたけご飯にしたんです。

おいしかった。

その椎茸が120円。

ちょっと今計算したら今日は何と5000円も使ってしまった。

どうしよう。

これから旅は苦しくなるぞ。

YHに泊まったら、もう野宿はできないんじゃないかな?

野宿は怖くて怖くて…。

もう10時をだいぶ回っていて寝なければならない時間だが、

まだ話している人がいるので当然眠れないのだ。

まぁそれは覚悟をしてきたことなのでいいとして。

とにかくの野宿は怖い。

YHの窓から見た夕焼けはすごく難しかったけれど、

これが野宿だったらと思うと、

野宿した日のことを思い出して、

急に寂寥感が襲ってきた。

しかし旅を続けるには野宿するしかない。

夕食を作っている間ふと思ったが、

街中の野宿だからおっかないのではないか。

これが山の中がどこかで、

人間が全く来ることのない土地である土地で、

あの夕陽を見たならばまた違った感情で見ることができそうな気がした。

1日の終わりとして。

しかし街中では違う。

夕焼けは犯罪の多発する夜のプロローグを如実に物語ってるようにしか

僕には受け止められないのだ。

かといって街中の野宿でテントを張ると言うのも何かと思う。

私はここに泊まっているんだということを人に知らせるようなものだからだ。

自分の外側に1つの膜を作れば外部に対する恐怖は

さらに増すように思えてならない。

反対に山の中であれば1つの家として別の意味を持ってくる。

とにかくキャンプを続けるならば小学校しかない。

道路を歩いているもので鼻の穴はまっくろけです。

野宿をする場所は小学校以外にはない。

それもできるだけ田舎がいいなぁ。

それにしても今後のスリーピングバックをどのように使おうか?

掛け布団とする。

それとも中に入る?

もうそれだけは結構毛だらけだ。

そう久しぶりにYHに留まるような気がします。

昭和57年の正月に高田くんと行った以来でありましょうか。

今日はこの辺のお祭りで打上花火があり、

あんなに側で見たのは初めてでありました。

とにかくド迫力。

光もさることながら音がすごい。

その後はサイクリングで各国を回っているスペイン人アントニオ25歳と

イスパニア辞書を片手に話し合いました。

しかし辞書通じて通じて会話は疲れます。

あっ、外人がいると思って出して話しかけてみようと思い

エクスキューズミーと言ったら、

イングリッシュはダメだと言われてがっかりでした。

しかしそんな事はどうでも良いことなのです。

2022.10.09

1983年7月22日金曜日

AM:630

再びS公園である。

今日は全く眠れなかった。

まぁ眠ろうというのは無理なのかもしれない。

時々雨が降った。

スリーピングバックはまさにサウナ風呂。

汗でびちょびちょである。

今もあんまり寝たと言う気がしないので頭ボケている。

今朝は4時半に起きた。

本当に長い夜だった。

食事の後しばらく座禅をして、

8時ごろには床に就いたが全く眠れなかった。

こういう野宿は久しぶりの体験でありまして、

ただでさえユースなんかに泊まった時でさえ眠れない少年が、

こういうベンチの下で眠れるはずがないのです。

しかしじっと我慢をすることを覚えた僕は、

眠れないなら眠れないで結構とばかり、

しばらくの間は目を開けていただが、

時計を持ってきてないので

時間ばかり気になってしょうがなかった。

時間なんか気にしても眠れるわけではないのにね。

でも大体の時間はわかった。

すぐ横を走っている電車の音が聞こえなくなったから、

大体12時位だろうかとか。

でも本当に早く夜が明けてくれることばかりを願っていた。

よく辛抱したと思います。

そんなわけで朝起きたらすぐに体を洗いました。

おかげで気分さっぱり。

それからヨガをやり瞑想しようと思ったが、

気分が乗らずやめた。

今日は岡崎のユースに泊まろうかと思っています。

20キロ位の距離がある。

途中岡崎城なんか見てきたいなと思っています。

ご飯食べたらベンチで少し寝よっと。

 

PM3時45分

岡崎市立Y小学校にて。

ここに着いたのはPM3時ごろだった.

まだ小学生たちはクラブに励んでいる.

今日はここで野宿しようと思うが、何分小学校内だから。

しかしこの学校の周りは囲ってある割には校内には扉がない。

許可が出るかどうか?

でも止めてもらうんだ。

しかし眠たいこと眠たいこと。

飯は朝食べただけで昼はない。

だけど別に腹は減っていない。

水ばっかり飲んでいる。

ちなみに本日の飲料代は520円。

 

PM7時

まだ夕食が終わっていない.

本日のメニューは大根飯ならぬにんじん飯である。

その前に枝豆を食べたので多少腹は膨らんでいる。

しかし昨日もそうであったが、

この日暮前のどうしようもなく物悲しい気分と言ったらどうであるか。

これが人間を始め生物全体の運命を如実に物語っているようである。

生き物は例外なく時を経れば死ぬ死ぬのだ

と私に訴え訴えかけているようである。

本当になんと悲しいこの日暮れ。

そして9時間もすればやってくる夜明け。

これほど対照的なものがあるのだろうか?

今日もきっと夜明けが早く来てくれることを、

スリーピングバックの中で祈ることだろう。

そして明日こそは必ずユースに泊まるんだと固い固い誓いを立てることだろう。

そして浮かんでくる父、母、妹の顔顔顔・・・。

だけど日が暮れたら暮れたで対人の恐怖におののく。

まったくいい加減な精神構造だ。

しかしこれが人間の本当の姿かもしれない。

家では決して味わえない体験だ。

それだけでも旅に出た甲斐があったと言うものだ。

それにしても2日にもわたってこんな素敵な宿で提供してくれた神に感謝します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今の私はもう野宿なんかしたくないと思っている。

 

2022.10.08

1983年7月21日木曜日PM6時

時計を持っていない僕がどうして時間がわかるかって?

そうここは県立N高校のお隣のS公園という、

小さいながら大変設備の整った公園なのである。

ここには水道もあり、屋根付きベンチもある。

ここに着いたのはPM5時であった。

まぁもともとはちょっと休憩するぐらいのつもりできたが、

あまりにも設備が良いためにここに泊まることにした。

今日はまだ梅雨のような雨の日で、今も雨がしとしと降っている。

ここは雨も多少は入ってくるが、凌ぐ事は十分にできる。

ただちょっと町中かなという気がする。

国道1号線はすぐ横走っているし、名鉄も走っている。

夜中に怖いお兄さんが来ないといいけれど・・・。

まぁ今日は雨も降っている事だし大丈夫だとは思いますが。

今日は家を昼過ぎ1220分ごろに出て出てきて、

歩いた距離はほんと大した事はない。

何せまだ名古屋市内なんだから。

しかし今回は別にやたら歩くことばかりを念頭に置いていないつもりだ。

じっくり自分自身というものを考えたい。

瞑想に重点を置くつもりでいる。

まだ瞑想するには時間がある。

陽もくれてないし、まだご飯もできていない。

だから今こうして日記を書いている。

日が暮れたら書けないもんね。

今日は初日だと言うことでやっぱり疲れます。

今はあまり疲労を感じていないけれど、とにかく肩が痛いです。

今日の献立はカレーライス。

これを書き終わるとご飯を食べ終わるまで何もすることがないのでどうしよう?

 

この頃の私はとにかく歩いていた。

身体を鍛えることが関心の重心を占めていた。

どこまで行けるか自分の限界を知りたかった。

こういうかたちで自分を試してみたかった。

学校へは1時間半かけて歩いて通っていたし、

休み時間には鉄棒で懸垂することが日程になっていた。

27回くらいできたんじゃないかな。

今では考えられないけれど。

いろんな所で野宿もしていた。

公園、川のそば、山の中の祠に寝袋1つで

泊まっていた。

テントは張らなかった。

公園は水道があり、トイレもあったのでありがたかった。

バッグパッキングという言葉が生まれた頃だ。

バッグパッカーに憧れていた。

必要なものは背中のリュックに全て詰め込んだ。

寝袋、食料、コンロ(ガスストーブ)には特にこだわりがあった。

両親はよく行かせてくれたものだと思う。

 

 

2015.02.04

節分

昨日の節分の日に、お隣のやまさと保育園の豆撒きに招待していただきました。枡の中に豆を入れ、角の被り物をしていざ出陣!赤鬼青鬼に怯むことなく勇敢に、「鬼は外!」と元気よく豆を投げつけていました。午後からは園長先生扮する福の神が撒くお菓子を一生懸命拾い集めました。今回初めての交流行事となりました。

2015.01.01

新年おめでとうございます

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皆さまにとって幸多き年となりますようお祈りいたします。

マヤ暦研究家の柳瀬宏秀さんによると、私の今年の誕生日は・・・

「来年の3月2日は、ツォルキン260日周期の銀河の誕生日と重なる、
人生が始まる年になります。マヤの叡智では、52年は、重要です。
高次元の周期です。」だそうです。

2014.12.27

Cafe微睡(まどろみ)にてライアー演奏

今日はこちらのCafeで演奏させていただきました。

聴いてくださった方が電子音のように聞こえたとおっしゃっていました。

ライアーはビブラートがかからないのでそのように聞こえるのかもしれませんね。

普段はなかなか時間が合わないのですが、

また演奏させてもらいたいと思います。

2014.12.26

2014年最終日

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午前中に餅つきをしてお昼ご飯にお餅をいただきました。

臼はお隣のやまさと保育園からお借りしました。

午後は年賀状を書いたりしました。

2015年もどうぞよろしくお願いいたします。

«冬休み遠足(その2)

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