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自己紹介文

1963年、名古屋市生まれ。1989年より98年までやまさと保育園(シュタイナー教育実践園・名古屋市)に勤務。1999年よりスイス・ドルナッハにあるゲーテアヌム彫刻学校に留学。在学中に治療教育家のズンナ・ホフマンよりライアーを学ぶ。2002年、同校卒業後帰国する。現在はNPO法人 愛知シュタイナー学園幼児部芽ばえのクラスに勤務。また名古屋シュタイナー土曜学校山里の森で小学生の彫塑の授業を受け持つ。ライアー響会会員。名古屋市在住。=========================================

子どもの頃から物づくりは好きでした。中学生の頃、「卒業したら大工の従兄弟の所へ弟子入りしたい」と本気で母親に言ったら「せめて高校ぐらいは卒業して欲しい」と許してもらえませんでした。その頃の放課時間にしていたことと言えば、折れた椅子の横木にカッターナイフで模様を彫りつけることでした。

勉強嫌いの子どもでした。本もろくに読んだことがなく、本を読む楽しさ、歓びもまだ知りませんでした。夏休みの読書感想文を書く宿題は本当に苦痛でした。

中学卒業後は結局そのまま高校へは進まず、職業訓練校の建築科へ行きました。けれども勉強ができないままでしたので、数学の科目などでつまづいてしまいました。

職業訓練校に入校してすぐに、市バスの車内でたまたま「フォークダンスクラブの会員募集」の広告を見つけました。それから3年間はフォークダンス(特に東ヨーロッパ・バルカン半島のもの)に夢中になりました。

職業訓練校の2年生の時、富士山麓のユースホステルでヘルパーという仕事を体験しました。そこで外国人を含む様々なお客さんのお世話をさせていただく中で、自分がいかに何も知らないか、何もできないかを思い知らされました。そしてこのまま社会に出てしまっていいものだろうか、もっと世の中のことを知る必要があるのではないか、という気持ちになりました。生まれて初めて自分から勉強したいと思いました。それから2年後、定時制高校へ入学しました。

定時制ではバドミントン部に入りました。顧問の先生がヨガをされていたのですが、彼の影響をモロに受け私も次第に神秘主義に傾倒していくようになりました。平凡以下の私がバドミントンがもっと強くなって、勉強がもっとできるようになるためにはこれしかないと思い込んでいました。そして我流の瞑想や断食によって心身のバランスを崩してしまいました。無理な食事制限がたたって、起きていられないほどの栄養失調状態になり、母に「お願いだからもうやめて頂戴!」と泣きつかれました。あの時、母に止めてもらえなかったら生命を失っていたかもしれません。

定時制高校を卒業してから恩師の学習塾でアルバイトさせてもらっていました。そのころ楽器の1つくらいできるようになりたいと思って、妹が使っていたエレクトーンを練習するようになりました。

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10年程前、私はやまさと保育園というところに勤めていたのですが、ここに就職したことがシュタイナー教育との関わりを持つきっかけになりました。

当時土曜日の午後、小学生を対象に芸術教室を主宰されていた近藤さんご夫妻を中心に愛知シュタイナー学校設立準備会というものが結成されました。

私がその会に参加したそもそもの理由は、自分の子どもたちにシュタイナー教育を継続して与えたいという親としての立場からでした。

けれどもその後、会に参加し学んでゆくうち自分自身が教師として立ってみたいという思いを持つようになりました。クラス担任のコースというのも選択肢の中になかったわけではありませんが、彫塑の道を選びました。

幸い妻の協力と理解があり、平成10年7月、二人の幼い子どもたちを残してヨーロッパに向けて旅立ちました。