Recent Trackbacks

他のアカウント

« October 2014 | Main | December 2014 »

November 2014の投稿

2014.11.30

お片付け(おもちゃの整理)

幼児園きのこにはさまざまな種類のおもちゃがあります。子どもたちはお片付けのときにはおもちゃを同じ種類に分類しなければなりません。幼児には「自分で使った、自分で遊んだおもちゃだから、自分で片付けなさい」という理屈はまだ通用しません。おもちゃ棚から出してくることはとても喜んでしますが、それを元通りにきちんと片付けるためには、大人の助けがどうしても必要です。秩序というものを、大人が実際に行為によって手本を示してあげなければなりません。とは言ってもお片付けもある意味、遊びの延長であるとも言えます。元通りにきちんと棚へ片付けることだけが目的になると、お片付けがしっかり出来る子は良い子で、ちっとも出来ない子は悪い子になって、その出来ないことを叱ってばかりいなければならなくなります。極端な例ですが、もし大人が口先ばかりで「ちゃんとお片付けしなさい!」と子どもに言ったとします。この「ちゃんと」とか「きちんと」とかいう言葉も大人にとっては「きれいに整えられている状態」という概念がありますので、ある程度わかる言葉ですが、まだ概念の出来上がっていない幼児にとっては理解しがたい言葉であり、概念を押しつけるようなことも好ましくないことだと思います。

以前勤めていた幼稚園では以下のようにお片付けをしていました。おもちゃの入っている器や籠をバスや電車などの乗り物に見立てて、そこに入るおもちゃは乗客に見立てます。例えば「木の実バスのお客さんは、バス停にお集まりください」「まもなく3番線より紐バスが発車いたします」のように、どこかへお出かけしたときにどこかで見聞きしたことを、臨場感あふれるアナウンスで呼びかけている子どももいます。バス停のあるこちらでは、同じ種類の木の実が整列してバスに乗るのを待っています。また乗り遅れてしまったお客さん(木の実)のためには、臨時バスがちゃんと迎えに来てくれます。このようにしてごく自然に、半分遊びながらというふうに見えるかもしれませんが、このようにすれば子どもたちを急き立てることもなく、自発的にお片付けが進んでいきます。

私たちの幼児園にはたくさんの種類のおもちゃがあります。それらが使われていない時には、籠や器に分類されておもちゃ棚にしまわれています。木の実だけでも4.5種類あります。これらたくさんの種類のおもちゃを同じ仲間に分類するという作業は、子どもたちの平衡感覚や生命感覚を育てるのにとてもよいお仕事だと思います。また布をきれいに畳んだり、紐を元通りにくるくると巻くことは、指先の微細運動が必要で、器用さも養います。秩序ということについて言えば、それは生命感覚に関わることだと思いますし、美的感覚に関係する平衡感覚も育てられます。

2014.11.29

部屋での自由あそび

試行錯誤の許される自由な空間と時間

広い空間が何も置かれていないままポッカリとそのままありますと、男の子たちはお相撲ごっこを始めるときがあります。お相撲も少しくらいならいいと思いますが、度を超すと危ないこともあります。ここで大人が「危ないから、もうお相撲はやめなさい」と言わなくても、ころ合いを見計らって大人がその空間に衣桁を立ててお家を作ってあげると、家族ごっこなど別の遊びが始まります。

家族ごっこ

衣桁を立ててお家を作ります。私たちの幼稚園には大きな衣桁が3つ、背の低い小さな衣桁が2つあります。時には広い布を屋根のように被せてくれるように、大人に頼んでくることもあります。子どもたちは衣桁で囲まれた狭い空間に身を置くと、何だか安心するようです。それは知らず知らずのうちに触覚を刺激されるからでしょう。子どもたちはファンタジーの力や模倣の力を使って、自分の中のイメージを働かせて、その役に成りきって遊びます。それはお父さんであったり、お母さんであったり、お兄さん、お姉さん、赤ちゃん、ペットの犬猫などさまざまです。普段からよく見ている、例えばお父さんが鬚をそる様子だとか、お母さんがお化粧をしたり、お料理をしている様子、またそのようなときに自分たちにかけられる言葉が、同じような場面でそのまま出てくることもあります。自分で何になるか決めることもありますが、異年齢で遊んでいる場合は年上の子が「○○ちゃん、ねこになって」とか言って、役を振り分けていることも多いです。

2014.11.28

ハンモックでゆらゆら

image

以前勤めていた幼稚園で在園する子どもの人数がまだ少なかった頃は、朝のお集まりの前など決まった時間にやっていました。子どもが乗っても大丈夫なくらい大きな布、またはハンモックに子どもを1人ずつ寝かせて、それを大人が2人で両端を持って「ゆーらゆーら、ゆーらゆら」の歌を歌いながら左右に揺らします。子どもの身体は布に押し付けられて、強い触覚と運動感覚の体験を持つことになります。そのように大人に揺らしてもらって、子どもは気持ちよさ、心地よさ、楽しさを味わっています。

大工と鬼六

今幼児園では人形劇で「大工と鬼六」をやっているのですが、それを子どもたちがちょっとした時間に真似してやっています。「…そんならこのおれの名前を当ててみろ。見事当てたなら目ん玉は許してやろう。だがお前なんぞにとっても当てられまいなあ」そう言って鬼はニカリニカリと笑いました。「そんならお前は鬼のおん吉だあ」「うんにゃ、違う」「よーし今度こそ当てるぞ!角べえだ」「うんにゃ、違う違う」こんな調子で交代で掛け合いでやるのでかわいいやら可笑しいやらです。

2014.11.27

食器洗い



あらはし館では感謝祭のあと床にカーペットを敷いたので、学童のおやつの後にいつもやっていた床の雑巾がけができなくなりました。そこでこれからは代わりに食後の食器洗いをしてもらうことにしました。

狭い空間での遊び(触覚体験)

以前勤めていた幼稚園には押し入れを利用して玩具棚や個人の荷物入れのロッカー、季節のテーブルなどが設えてありましたが、一カ所、穴倉のような空間を作ってありました。幼児は狭い空間が大好きですが、子どもたちはここに入り込んでよく遊んでいました。暑い時期でも関係なく汗をかきながら身体を寄せ合って、壁に身体を押しつけるようにしてぎゅうぎゅうになって、よくもまあこんなところにこんなに入っていたなあと思うこともしばしばです。これは子どもたちの触覚を育てるためには、とてもいい空間だと思います。衣桁を倒してテントのように三角屋根の空間を作って、その中に入って遊ぶことも大好きです。布を身体に何枚も巻いてもらって、お姫様ごっこをするときがありますが、身体を布で覆うことによって安心感を得られるということを無意識に知っているかのようです。

2014.11.26

キンダーハープを奏でる(年長児)

何か曲を弾いたりするのではなく、私の模倣をして、主にグリッサンド奏法で、ゆっくり・早く、大きく・小さく(音の強弱)、人差し指から小指まで使い、指を変えながら、(親指は反対の流れになる)などいろいろなやり方で何度も行います。普通は1対1で行います。模倣のうまくできない子どもにとっては、まわりを気にせずにやれるので、効果があると思われます。背中合わせで座って、1つの音を当てっこする、ゲーム的なこともします。模倣による集中力も必要になるので、必然的におしゃべりはなくなります。これをやっていると、聴覚はコミュニケーションの能力と深く関係していることがよくわかります。

キンダーハープの音は耳の中に勝手に飛び込んでくる音ではなく、とても優しく繊細な音です。ですから自然と音に集中しようとして、つまり耳をすますようになります。そしてペンタトニックは、はっきりとした始まりと終わりがない、どこかふわふわと漂っているような音階です。それはまだ地上にしっかりと受肉していない9歳くらいまでの子どもたちに相応しいものです。

音楽は子どもの平衡感覚を養うために、とても相応しいものだと思われる。特にキンダーハープのような繊細な楽器は、力の加減でピンピンした不快な音になりやすく、きれいな優しい音を出すためには、適度な力でそっと奏でる必要があります。勿論そのためには触覚や運動感覚も重要で、心地よい音を出そうという努力が生命感覚を刺激します。

2014.11.25

ジョンさんとヤンさんのジョイントコンサート

昨夜のジョンさんとヤンさんのコラボはほんと凄かったです。そもそもあのお二人がここ名古屋でコラボをするということ自体が夢のようでした。ヨーロッパでもこの組み合わせは相当貴重でしょう。まずないんじゃないですかね。圧巻はお二人による4つのパートからなるほぼ即興による演奏。自分の身体のように完全に自由に演奏できるテクニックをお持ちのお二人だからこそできるハーモニーの豊かさ。絶妙な掛け合い。こんな演奏聴いたことない。濃厚な時間が過ぎていきました。これからの方向性が少し見えたような気がします。
このコラボは急遽決まったようでしたが、教えてくださった野口さんと後藤寛子さんにほんと感謝します。
感動のコンサートの後はヤンさんが私の演奏を聴きたがっているという話にほいほいと乗っかって、調子に乗って30分も彼の前で弾いてしまいました(^。^)ハハハ…。バッハがいいねと言ってくれました。

クリスマス

私たちの幼児園ではクリスマスの4週間前(アドヴェント・待降節)から部屋の模様替えをします。普段はカーテンの色はピンクですが、アドヴェントに入ると意図的に紺色のカーテンに掛けかえられます。季節のテーブルには幼子イエスが誕生する場所である馬小屋のミニチュアが用意され、立人形のマリアとヨゼフが旅をしながら、日一日と馬小屋へ近づいていきます。マリアの歩みには金色の星形の足跡が毎日残されていきます。年少児が多いときや少人数のときは、クリスマスのライゲンで役を決めて衣装を着けて劇をおこなうのは最後の2.3日だけで、それ以外の日は普通のライゲンの時のように皆で同じ動きをします。アドヴェントの赤いロウソクは、初めは1本だけ点しますが、クリスマスが近づくにつれて2本、3本と点すロウソクの数も増えていって、子どもたちの期待も高まってきます。

部屋では昼間も照明をつけなければ暗くなります。カーテンの掛かっていないガラス窓には、さまざまな形や色のトランスパレント紙で折った星形を飾ります。部屋を暗くすることも、いつになくロウソクを点すことも星形を窓に貼ることも、子どもたちが光をよく感じられるようにするためのものです。1年のうちで最も昼間の時間が短くなり闇の満ちた冬至の頃に、その暗闇の中に小さな灯りがともされるように幼子イエスが誕生する、その年に1度のクリスマスの体験が迎えられるように私たちは準備をします。

2014.11.24

弾丸ツアー



22日の感謝祭を終えてひと休みしてから深夜の1時過ぎに車で山口県に向けて出発しました。家族四人で出かけるのは本当に久しぶりのことでした。子どもたちも大きくなるとそれぞれのスケジュールがあるので、全員揃うことがなかなか難しくなります。車内では深夜にかかわらず音楽をガンガンにかけて大盛り上がり。娘と息子はアナ雪の曲をデュエットして大喜びしていました。
10時過ぎには目的地に到着しました。今回の目的は法事でした。お寺へ2時前に移動して法事が始まりましたが、さすがに眠くて眠くてコクリコクリしてしまいました。それから卒塔婆を持って再度お墓へ(実は午前にもお参りしたのですが)それから御膳をいただいて一泊する予定だったのをやめて、急遽帰ることにしました。途中のスタンドで給油したのですが、満タンに入れたはずが給油計の針が全然動いてなくて(いつもならピコンとすぐに上がるのですが)焦りましたが、走っているうちに少しずつ上がってきて、普通なら走るうちに針が減っていくのに、逆に増えてきて大笑いでした。
そうこうしているうちに無事に深夜2時過ぎに自宅に到着しました。

お誕生日会

週末や休日は仕方がありませんが、できる限りその子どものお誕生日に一人ずつお祝いができるようにします。できればご両親そろって、もちろん兄弟も可能であればご招待します。皆でお誕生日のお祝いの飾りつけをします。そこには地水火風や鉱物界・植物界・動物界を象徴するものが飾られます。お誕生日の子どもの両脇には太陽と月の冠を被った子どもたちがエスコートします。飾りの上には歳の数のろうそくが並べられ、火がつけられます。

お誕生会のお話は、人間が天上界からどのようにしてこの地上世界に誕生したか、メルヘンを通して象徴的に語られます。子どもたちはそのお話をファンタジーの力で受け取り、自分は皆から必要とされているかけがえのない一人なんだということを、無意識のうちに刻印づけられます。これは後の人生を生きていく上でとても大切な、その子どもを一生のあいだ支え続ける特別な気分を育ててくれます。

お祝いの後はご家庭で用意していただいた特別のおやつをいただきます。

2014.11.23

感謝祭ありがとうございました





お陰さまで盛況のうちに終わることができました。

初企画のクリスマスリースの販売とワークショップをしました。

ワークショップは幼児さんから大人の方まで楽しめる企画でとても良かったと思いました。

久しぶりに大勢の方を前にして緊張しながら人形劇をしました。

直前に緑の枝や紅葉した葉っぱを置いて盛ったのも舞台が賑やかになって良かったです。

ライアー教室の発表会は皆さん初めてでしたが堂々と演奏されていました。

これから法事



これから法事で山口県に向かっています。

タイヤはスタッドレスに替えて準備万端。

曜日ごとのさまざまな活動

それぞれの曜日に行われることは大きな行事がない限りは決まっており、それがいつも繰り返されることにより週のリズムが生まれ、子どもたちが安心して幼稚園で過ごせる土台となります。様々な活動を通して諸感覚を豊かに育てることは、ひいては子どもの健全な心身の発達を促すことにもつながります。

オイリュトミー(火曜日)

オイリュトミーの時間には専任のオイリュトミー講師に来ていただきます。自然界の季節の様子やメルヘンが題材になり、講師の動きに合わせて、それぞれの意味のある母音や子音の動作を含んだ動きをみんなで一緒に動きます。オイリュトミーでは主に運動感覚が必要とされますが、ライゲンのように模倣の力も必要になります。ところがそれがむずかしい子どももいます。「4~5歳まで充分な模倣活動がなされなかったならば、学童期に集中力に欠けた病的な落着きのなさが見られることがある」という報告もあります。

お料理(月曜日)

まず手を洗わせ、エプロン装着します。これでこれからお手伝いをするんだという気持ちを高めます。まな板と包丁は人数分セットにしておきます。切るときは包丁の上に手のひらを乗せて、押すように切らせます。リンゴを丸ごと1個を半分に切ることは、年長さんでもまだ難しいです。というのは半分のものを切るときには、平らな方を下にして安定させますが、彼らの中で真ん中という概念がまだあやふやで、もっと小さいものを切るときにも私に「このへん?」と切るたびに聞いてきます。まだ力も十分ではありません。4分の1のものを半分に切るときは、丸い面を下にするので容易ではありません。角から半分にしなければならないので、バランスよく力を入れることが要求されるこの体験は、平衡感覚を養うことに役立ちます。

散歩

子どもたちは2人ないしは3人で手を繋いで歩きます。他の子と手を繋ぐと子どもたちはさまざまなことを触覚によって感じます。手の温かさ、大きさ、握る強さ、汗かきの子どもの手はべたべたしているかもしれません。そして他の子と歩調を合わせて歩くこと。大きい子は自分のペースで歩こうとすると、一緒に手を繋いでいる小さい子が転んでしまうかもしれませんから、相手に対する思いやりが必要になります。運動感覚と平衡感覚が働きます。

途中では大通りを渡らなければならないこともあります。このときにしてはいけないこと、しなければならないこといろいろありますが、大人はそれを子どもたちに行為で示してあげる必要があります。例えば横断歩道を歩くときは、ドライバーからよく見えるように手を高く上げるなどです。

道を歩いているといろいろなものが目に飛び込んできます。たわわに実ったハッサクの木があります。柿の実のオレンジ色もとても鮮やかです。「あの実はどうなるんだろう」「きっとカラスがあそこでパーティするんだよ」会話も弾みます。目的地に着いたら鬼ごっこやかくれんぼをして自由に走り回ったり、木の実や枝を拾い集めてままごとを始める子もいます。

帰り道はお昼前でおなかも空いています。でももう少し歩けば幼稚園に着いてお弁当が食べられます。そういう子どもたちにとっても少し我慢の必要なところで生命感覚が養われます。その中で子どもたちは季節を感じたり、身体を思いきり動かしたり、まさに身体全体を感覚器官にして、さまざまな感覚体験をすることができます。

パン焼き(水曜日)

火曜日に前もって私が捏ねておいた天然酵母の生地を一晩寝かせておいて、翌日子どもたちと一緒に大きな塊から小分けに切って1個ずつ形成します。手をきれいに洗ってから粉をつけて、のばし棒で平らにのばしたり、手でくるくる丸めたり、紐状に細く伸ばしたり、思い思いの形に作ります。私たちの幼稚園では特に粘土遊びをする時間は設けていないので、このパン作りは2歳の子どもも一緒にできる造形体験のための貴重な時間です。この自分で作ったものを食するという一貫性の意味のある体験は触覚を豊かに育て、指先の器用さ(微細運動)を養います。パンの造形は園庭で泥団子を作るときとは、また違った感触があります。

水彩(金曜日)

通常朝の自由遊びの時間中に行います。画板もあらかじめ前回のときについた絵の具を洗い流して濡らしておきます。黄・赤・青の3色で描いています。色を変えるときに、筆洗いのガラスビンでしっかりと筆を洗ってタオルで拭くという行程がきちんとできないと、絵の具のビンの中で色が混ざってしまいます。画用紙はワトソン紙を使っていますが、これもバットにしっかりと浸してから画板の上に置きます。水で紙と画板がピッタリと密着しますが、特に端の方に気泡が入りやすいので、どこにも気泡が入らないように注意して紙を置きます。

ここまでの用意ができたら子どもたちを指定の場所に座らせて、筆を持たせて「お空の虹の橋」の歌で始めます。例えば「今日はお花の絵を描いてみましょう」という課題は出しません。何を描くかは自由にさせています。ただ筆の使い方や色の変え方は、「こうしてごらん」とお手本を示します。年少児には色を変えるときには、筆をよく洗っているか注意して見ます。色水を含んだ筆を紙の上に置くと、紙の表面を覆っている水によって色がパァーッと広がっていきます。紙が塗れている間は色と色とが互いに交わりやすくなります。年長くらいになると特定の形を描こうとする子どもがいますが、紙が濡れているためにうまく形を描くことができません。それは描いたときにあえてハッキリとした形にならないようにするという意味もあります。色を体験するという観点からすれば、はっきりとした形にならない方が良いのですから。水彩の体験もキンダーハープと同様に幼児の芸術活動と言えるものは、主に平衡感覚を養うと思います。この基盤は後にあらゆる場面において調和の感覚・感情の元になると思います。

2014.11.22

日常の保育の中で子どもたちの諸感覚を豊かに育てるための諸活動(その2)

ライゲン(うたあそび)

3~4週間同じものを毎日繰り返して行います。その題材はメルヘンであったり、自然の中の季節の移り変わりや、素朴なお百姓さんの農作業の様子などを、歌や踊りで表現しながらみんなで一緒に動いて楽しみます。その中には大きな動き(粗大運動)や小さな動き(微細運動)、速い動きやゆっくりな動きをリズムよく織り交ぜています。3~5歳児の年齢のバランスに配慮した動きや、年度の初めか終わりかでも動きやスピードは変わってきます。うたあそびによっては、年長児だけに特別の役をやってもらうこともあります。

手遊び・指あそび

微細運動や粗大運動を通して運動感覚をはじめ触覚や平衡感覚も育ちます。保育者のうたや言葉によって手でお花のかたちをつくるだけでも、幼児の中には生き生きとしたファンタジーが生み出されます。よろこびとともに生命感覚も刺激されます。0~1、2歳の子どもたちへは、特に触覚への刺激を意識的に行うふれあい遊びを行います。

おはなし(人形劇)

うたあそびと同じように、3~4週間同じものを毎日繰り返します。芽ばえのクラスでは、お昼寝の前の時間にしています。ロウソクを灯し、キンダーハープを弾いて、子どもたちの気持ちを人形劇に向かわせます。 おはなしは子どもたちに心の栄養を与えるものです。子どもたちの中に生き生きとしたファンタジーが湧き起こるように、心を込めて人形を動かし、淡々と語るように努めています。題材は日本の昔話はもちろんのこと、グリム童話など多岐にわたっています。

2014.11.21

明日は感謝祭







10時から開店します。先週の土曜日にお母さん方が集まってたくさんのクリスマスリースが作られました。それらの販売やワークショップもあります。たこ焼きや鬼まんじゅう、パイナップルの食べ物を始め、私がする人形劇やライアー教室の発表会、電子工作や書道の体験など盛りだくさんな内容です。

日常の保育の中で子どもたちの諸感覚を豊かに育てるための諸活動

☆毎日の活動

うたあそび(ライゲン)

3~4週間同じものを毎日繰り返して行います。その題材はメルヘンであったり、自然の中の季節の移り変わりや、素朴なお百姓さんの農作業の様子などを、歌や踊りで表現しながらみんなで一緒に動いて楽しみます。その中には大きな動き(粗大運動)や小さな動き(微細運動)、速い動きやゆっくりな動きをリズムよく織り交ぜています。3~5歳児の年齢のバランスに配慮した動きや、年度の初めか終わりかでも動きやスピードは変わってきます。うたあそびによっては、年長児だけに特別の役をやってもらうこともあります。

2014.11.20

子どものファンタジーについて

子どものファンタジーは諸感覚を総動員して作り上げられています。それはエーテル体が脳への働きかけを終える2歳半ころからファンタジーによって見立て遊びができるようになります。例えば細長い石を新幹線に、敷居を線路に見立てて遊ぶこと(電車ごっこ)ができるようになります。それは日々の生活の中で見て、触って、動かして、聞いて、話して、匂いをかいで、味わったことなど、諸感覚を通して体験したことの再構成であり、新たな創造行為であると言えます。だから幼児期の玩具は色鮮やかなプラスチックで何かを模して作ってあるようなリアルなものではなく、できるだけ素朴なものの方が、子どもがファンタジーを働かせて、さまざまなものに見立てられることができるのでふさわしいと言えます。また自然界に存在しているもの、木の実、木の枝、松ぼっくり、貝殻、石などは、工業製品のようにまったく同じものはなく、ひとつひとつに個性があって良いと思います。

ところが最近はファンタジーの力や模倣力の弱い子どもをちらほら見かけます。例えばどんぐりがお金になったり、ご馳走を作るための材料になったりするのではなく、どんぐりはどんぐりにしか見られない、他のものに見立てることが出来ない子どもがいます。その原因はいろいろ考えられますが、1つにはテレビやPCなどを日常的に視聴していると、固定化されたイメージを強く印象づけられることが多くなり、そこにはファンタジーが働く余地はあまりありませんので、当然そのような力は弱くなってしまうと考えられます。

以上は少し極端な例ですが、私たちは幼児のファンタジーをより豊かに育てることが必要です。なぜならそれは大人になったときに物事を生き生きと創造する力や自発性、発想力に変容していく基礎になるからです。ですから私たちは幼児からファンタジーを奪い取ってしまうもの、その働きを阻害するもの、固定されたイメージを与えてしまうテレビやコンピューターなどのもの、出来すぎた玩具、目鼻のハッキリしたお人形などといったものから幼児を守らなくてはなりません。

自発性ということで少し述べさせていただくなら、子どもたちの自発性を育てるためには、何かが上手にできたときでも褒めすぎないということがあります。あまり褒めすぎると、今度は褒められることが目的になってしまいます。そして子どもを叱るときには短い言葉で端的に。長々とした説教をしても幼児には内容が理解できませんし、ただお母さんや先生が怒っているという印象だけが残ります。そのように概念で言い聞かせるのではなく、ファンタジーを持って叱ることはそれなりに頭を働かせねばなりませんし、こちらのファンタジーも要求されますが、そのように子どもたちを指導できるよう日々努力しているところです。

テレビを見ることとお話を聴いたり、机上劇を見ることとはどのような違いがあるのでしょうか。

お話を聞いているとき、それぞれの子どもが内面で思い描いているものは違っていると思います。それは自由にファンタジーを豊かに働かせながらお話を聴いているからです。彼らが思い描いている内容はおそらくテレビなどでは表現できないほど豊かなものだと想像できます。その源泉は眠りの中、生まれてくる前の世界にあります。

童話(メルヘン)には登場人物についての詳細な説明はありません。金持ち、貧乏、正直な男・・・、「むかしむかしあるところに・・・」ただそのように簡潔に記されているだけです。メルヘンは生命感覚を育てることにつながると、2012年1月のシュパーリンガー先生の講義の中で教えていただきました。また生命感覚はユーモアや生きることの楽しさとも関係しているそうです。

2014.11.19

子どもがテレビを観ることについて(12感覚の観点から)

視覚→人工的に作り上げられた像であり、擬似的、一方的である。電気的な光。

聴覚→機械によって作られた音。マイクを通した音。電気的に変換された音。

触覚→子どもは何でも触ってみようとしますが、そこに映っているものに触れることはできません。触ってみて初めてわかることがあります。大人のようにすでに体験したことからそれを補うことはとても難しいのです。

熱感覚→働くことができません。

嗅覚→同じくありません。想像から補うことは容易くありません。

運動感覚→動かしているのは眼球だけです。

自我感覚→テレビには人間が映し出されていても、当然そこには自我はありません。その代わり機械の自我とも言うべきアーリマンが働いています。アーリマン的な力は特に現代では強く働いており、地上で生きる上で避けては通れないものですが、時に自我を翻弄し、人間を誤った道へ陥らせることもあります。

言語感覚→テレビやCDを聴かせて言葉を覚えさせようとする人がいますが、そもそも言葉とは人と人とがコミュニケーションを取ることによって覚えていくものだと思います。思考感覚も同じくコミュニケーションの欠如という観点から一方的であり、働かせることはできないと思います。幼児に特に必要なことは双方向性であり、相手とやり取りが出来るということ、つまり自分が何かを発したときに相手から何らかの反応が返ってくるということです。

テレビを観ているとき、見た後の子どもの様子を観察してみると、身体の筋肉は動かさずに、眼球は僅かに動いています。そして口をぽかーんと開けて、全身で感じ取ろう、受け止めようとしています。そして観たことを模倣しようとします。休みなくしゃべり続ける子どももいます。身体を動かしていなかったので、バランスを取るために動く、暴れる。これも自然な反応と言えるでしょう。

以上検証してきたように、テレビを見ているときに使われる感覚は、視覚と聴覚がほとんどで限定的です。テレビによって映し出される映像は、電気信号によって作り出されたもので、現実のものとは違います。刺激的な光と音が観ている者の意思とは関係なく洪水のようにやってきます。それは固定化されたイメージであり、そこには子どものファンタジーが働く余地はありません。

大人にとっては情報を得るのにとても便利なものですが、幼児にとっては身体感覚と切り離された情報は不安を生むことになります。子どもは実際のものに触れることで何かを感じ取り安心します。彼らはまだ大人とは異なるかたちで世界と関わっています。現実の像を作りつつある幼児には全体性・複合性ということが大切で、それぞれの感覚を別々に与えるようなことをするのは適切ではありません。

子どもの感覚の発達を阻害するもの(特にメディアについて)

子どもの健全な心身の発達には豊かな感覚体験が必要です。現代は高度な情報化社会であり、通信技術の発達によりテレビを始めとしてパソコン、携帯電話、ゲーム機など、さまざまな機器やコンテンツにあふれています。動画や音楽といった刺激によるものでしょうか、不思議なことにそれらのものに対して、ほとんどの子どもが強く反応します。またそのような子どもたちの反応を利用して、子ども向けの商業活動もビジネスとして立派に成り立っています。私自身もそのようなIT産業の発達を否定するつもりはありませんし、むしろ個人としては積極的に活用している部類に入ると思います。しかし小さな子どもたちがそのようなものに見入り、まるで魂を奪われているかのような姿を見るのは、彼らのファンタジーの育成やさまざまな感覚を発達させる時期という観点から考えると、とても積極的に勧める気にはなりません。それは時として私たち大人でさえも、極端な場合中毒のような症状を呈し、それらのものに依存してしまうといった状況が発生してしまうからです。このような闇の部分を、私たちよりももっと感受性の強い子どもたちが影響されないはずがないと考えるからです。一方的な見方かもしれませんが、それらの弊害についてこれから考えてみたいと思います。

まずそれらの代表格であるテレビです。テレビからは不特定多数に向けて、情報が与えられます。今回のような大震災のときに、テレビはいち早く大津波警報を発して、その情報によって難を逃れた人も大勢いたことでしょう。そして刻々と映し出されるあの大津波の映像…。どうしようもないやるせなさを、私たちは誰もが感じたことでしょう。

その中には子どもにとって不必要な情報も当然含まれています。それらの情報は手足を使って得たものではなく、ただじっと座っているだけでこちらの目や耳に勝手に飛び込んでくるものです。その姿勢は口を開けていれば、誰かが食べ物を口の中へ入れてくれるような状況に似ていて、物事に対して受け身になる態度を助長します。小さな子どもは大人のようにそれを見て情報を判断することはできませんし、むしろそのような不必要な情報から子どもたちを守ってあげなければなりません。

今年もロウソク作り





今年も蜜蝋でロウソクを作りました。これをするともうすぐクリスマスがやってくるんだなあと思います。おやつの後はまた穴を掘り返して粘土を集めたり、椅子を持って来て土を集めてお店屋さんにしたりしていました。
午後からは学童の子どもたちとロウソク作りをします。

2014.11.18

みかん狩り



週末に学芸会や作品展があった小学校は昨日が代休だったので、学童は朝から開きました。そこで幼児園の子どもたちと合同で名古屋市内の農園へみかん狩りに出かけました。
背の低い木にたわわに実ったみかんをみんなで一つ一つハサミで切り取っていきました。
予定外に芋掘りまでさせてもらって、楽しい美味しい1日でした。

2014.11.17

現代における子どもたちをめぐる環境(これからの時代を生きる子どもたち)

放射性物質に対して

2011年3月以降、日本の子どもたちは新たに放射能という見えない敵と戦っていかなければならない宿命を負いました。放射性物質をできる限り避けて、場合によっては遠くへ避難をして、外部・内部被爆を受けないようにすることも必要でしょう。しかし放射性物質は、これだけ日本各地に広範囲に拡散してしまったので、それがまったく存在しないという環境は、もちろん程度の差はありますが、もはや皆無なのではないでしょうか。

放射能に対抗する術は、現在のところはおそらくないでしょう。園で使う食材もなるべくこの地域で生産されたものを使うようにしています。ただそのような努力のほかにも私たちにできることとして、普段の生活の中で、子どもたちの免疫力を強めることは私たちにも可能なことかと思われます。

シュタイナー教育の中で私たちが行おうとしていること、それは子どもたちによりよい生活の場を提供すること、子どもたちが遊びやライゲン、メルヘンを通してファンタジーを豊かに育てること。そのような日々の積み重ねは子どもたちの生命感覚を豊かに育み、子どもたちを元気にして、免疫力を強めることに通じると思います。キリスト者共同体の小林司祭は「免疫力を強めるための最高の手段は「宗教」であり、「芸術」、「畏敬の念」なのです。ルドルフ・シュタイナーはそのことを『霊学の観点から見た子どもの教育』の中で示唆しています。」と書いておられます。子どもの遊びとは、創造性を高め、さまざまな感覚を十全に働かせて行う、彼らにとっての芸術活動なのだと私は考えます。放射能の危険性は今後も決して楽観視できるものではありませんが、ただ無闇に恐れるのではなく、子どもたちの免疫力を高めることで、少しでもその害を軽減できるのではないでしょうか。

2014.11.16

子どもたちは繰り返しが大好きです

image

幼児園きのこでは3~4週間、毎日決まった時間に同じうたあそびをしたり、おはなしや人形劇を観たりします。お集まりや自由遊びの時間もふくめて、1日が呼吸をするようにリズム良く流れていきます。

7歳までに大切にしたいこと

7歳までの子どもたちは両親からもらった身体を全力で自分の身体につくりかえています。 その身体はその後の一生の基礎となるものです。頭だけにはたらきかけることにならないように、全身の感覚を使ってさまざまな体験をしたり、ファンタジー豊かに遊ぶこと、リズムのある生活をすることが大切です。

2014.11.15

喪中はがき

昨日喪中はがきをいただいた。

裏を見てびっくりした。

保育専門学校時代の同級生のTくんが亡くなったというのだ。

まだ45歳。

どうしてそんなに早く逝ってしまったのか。

 

私が在学していたころの保育専門学校は、

1学年200名近くいる学生の中で、

男子学生は彼と私の2人きりだった。

圧倒的な数の女子学生の中で、

当時はとても暗かった私の唯一の友だった。

彼が居てくれたことで、

どれだけ心の支えになってくれていたことか。

 

彼は卒業後2年くらい幼稚園に勤めていたが、

その後消防士に転職したと聞いていた。

 

ご自宅に電話をして奥様にお悔やみを言ったときに、

亡くなったときの状況を聞いた。

 

今はただ冥福をお祈りするしかないが、

もう一度会って話がしたかった。

日本シュタイナー幼児教育協会教員養成講座にて

2011年7月に当養成講座の中で彫塑の時間の講師をさせていただきました。それは粘土を使って受肉のプロセスを追体験しようとする試みでした。まず受講者の皆さんが粘土で作った球を片手に持ち、宇宙大に広がった空間をイメージしながら、そこに存在している霊的実在が少しずつ、ゆっくりと時間をかけながら収縮し続けて、最終的に手元の粘土の中心へ集まるというやり方をしてもらいました。

また平面上に少しずつ粘土を積み上げていき、レリーフ状のものを作る。そこへ水を垂らして表面全体を濡らし、そこからある秩序をもった流れを見つけ出す。手のひら全体で、あるいは指先で粘土に触れ、その感覚に集中する。これは、はじめに血流のみがあり、そこから徐々に心臓が形成されていく胎児期の心臓が形成される過程でもあります。 これらは講座の中で行った一部分のものでしたが、そこで私が講師として最も意図していたものは、主に触覚を使った空間把握の体験でした。

2014.11.14

触覚について自分自身の体験より

・スイスの彫刻学校で体験したこと

入学して間もない頃にあるゲームをしました。それはあるものに布を掛けて上からは見えないようにして、布の下から手を入れて、それが何であるかを当てるというものでした。学生たちが順番に手を入れていきました。自分がそれが何であるかわかっても、他のひとのために黙っておくというのがルールでした。さて私の番が回ってきました。恐る恐る布の中に手を入れてみると、何やら固くて、丸いお皿のような感じがしました。しかし人工のものという感じではありませんでした。気を付けて触ってみると、外側はツルツルしていますが、内側はちょっとザラザラしていました。これは何か大きな木の実の殻を切ったものかなあと、私は思いました。そして全員が触り終えて、掛けてあった布が取られました。何やら白っぽいものでした。初めは何かわかりませんでしたが、頭がい骨を切り取ったものということでした。

この場合のように主に触覚だけに特化した体験は大人には有効だが、幼児にはあまり相応しくないと思われます。なぜなら1つの体験の中にさまざまな感覚が共働しているからです。

2014.11.13

エバさんの講座より

2011年8月、ハンガリーからエクストラレッスンの指導者である、エバ・ユジャラキさんが来日され、名古屋でも愛知シュタイナー学園の主催で「7歳までに育まれる感覚とその後の成長」と題して講演会が開催されました。これはその時の記録です。

・前置き

先天的な身体障害をもって生まれてきた子どもは、それを今世の課題として克服することを計画して生まれてきているが、広汎性発達障害やADHDなどの所謂ボーダー、グレーゾーンと呼ばれている子どもたちの場合は、そのことを生まれる前に計画してきたというよりは、現在の環境によってそのような状態に置かれていると考えられる。

・触覚

赤ちゃんが生まれてくるとき、赤ちゃんの身体はお母さんの狭い産道を通ってくることで、まるで全身をマッサージされるような、初めての大きな触覚体験です。かつて新生児は世界各地のどの民族にも共通して見られたことだが、身体をしっかりとくるむような「おくるみ」を着せられて育てられた。それは赤ちゃんが無意識に手足をバタバタと窮屈なおくるみの中で動かすことによって、ああっ、これがわたしの手足なんだ、ということ、自分の境界がどこまであるかを確かめられる点では、とても理に叶ったものだった。

自分の境界があいまいということは、人と人との境界もハッキリしなくなり、他人との距離感もつかみにくくなる。人との距離感がわからない、人の気持ちが推察しづらいということは、当然コミュニケーションに問題が生じる可能性がある。ですから触覚は長じて(転じて)人との信頼を育む感覚と言える。

・生命感覚

自分の身体が元気かどうかを知る感覚。生命感覚に問題のある子どもは、空腹感や痛みなど、自分の身体の状態に注意を払いたくない傾向がある。生命感覚を育てるために必要なことは、良い食事を摂ること、良い睡眠を取ること、1日のうちに静寂の時間を設けることである。

・運動感覚

これは別名「自由の感覚」とも呼ばれる。自分自身の身体を自由に動かすことに関係する感覚であるが、身体的なことに限らず、人と自由にコミュニケーションを取って交流したり行き来できるといった、魂の領域にも関係してくる感覚である。

・平衡感覚

これも別名「真実の感覚」と呼ばれる。身体を真っ直ぐに立たせるバランスの感覚であるが、運動感覚で自由に行き来できることの元となる、中心に戻ってくる能力や秩序といった感覚とも関係してくる。これにより何を中心に持ってくるか、何が一番大切なことかという、物事の優先順位をつける能力も生まれる。

・中東戦争の帰還兵の話

戦争から帰ってきた人はさまざまなトラウマを抱え、その後の人生を生きる上で困難を抱えるというが、そんな困難を克服できた帰還兵には共通した5つの項目があった。

1. 子どもの頃に本当に信頼できる人がいた。

2. 親が物事を決めていくという躾を受けてきた。

3. 親やまわりの大人たちが模倣されてもよい振る舞いをしていた。

4. リズムのある質の高い時間を過ごしていた。

5. 学校時代のいい思い出があった。

2014.11.12

穴掘り



今朝は雨が降り地面が柔らかくなっていました。子どもたちはスコップと鍬で穴掘りを始めました。土遊びでいろいろな感覚が養われます。

2014.11.11

ノートパソコン再修理

先月の大阪出張演奏会の時にパソコンを持って行ったのだが、どうも調子が良くない。立ち上がりにえらく時間がかかる。夏に山口県に持って行った時は大丈夫だったのに‥‥。
このパソコンは4年前にシュタイナー幼児教育者養成講座で卒論を書くためにわざわざ5年間の長期保証を付けて買ったものだったのだが、前のデスクトップがイカれた時にはリモートでバックアップを取って、何とかデータの損失は免れたという恩もあり、何より仕事が終わった後にこれを開けてホッとできる時間が有り難かった。
それで5年間保証の4年目だったので修理に出したのだが、ハードディスクを無償で交換したということで返って来たが、重さは依然として変わっておらず、仕方がないのでもう一度修理に出した。今日再修理から戻って来るが、難所が改善されていれば幸いである。

2014.11.10

土曜学校の音楽の授業のページ

この週末はウェブページの更新に明け暮れていた。その中でも私が管理人をしている土曜学校のFacebookに同じく土曜学校のブログのリンクを張り付ける作業をした。こちらの元の文章は入校説明会に配布する資料に掲載されている各教科の内容及びカリキュラムから引用されたものなのだが、私はFacebookに投稿する際にはツイッターにも同時に投稿する設定にしてあるので、そちらの方でリツィートしてくださった方がいらっしゃって拡散されたようで、私が書いた音楽の授業について『「耳を澄まして聴く」ということ』が377人もの方に見ていただいたようで、ちょっとびっくりしています。

2014.11.09

シュタイナーの12感覚について

0098

シュタイナーの人間学では、人生を7年ごとに区切って考えます。この世に誕生してから最初の7年間を第1七年期と呼び、両親からもらった身体を7年間かけて自分の身体に作りかえます。それは人間の4つの構成体のなかのエーテル体によって行われますが、頭部から順に身体の下方へ向かって進んでいきます。脳は2歳半ころまでに、四肢は5~7歳ころまでにエーテル体が解放されます。その仕事が完了したというサインが歯牙交替です。この第1七年期に作り上げられた身体が子どものその後の人生の基盤を成すために、最初の7年間をどのように育てるかはとても重要なことです。(2010年7月のペッター先生の講義より)

そこで本来は身体全体の形成のために使われるべきエネルギー(エーテル体)が、不自然な早期教育や知的偏重教育によって脳の形成ではなく使用すること(思考すること)に重点的に使われてしまうならば、内臓諸器官は十分に発達することができなくなります。それは第1七年期にのみ形成・発達させられるものなので、そのまま不完全に成長することになります。すると壮年期・老年期になってから思わぬ疾病となって現れることがあるといいます。

シュタイナーの7年周期の考え方には、それぞれの時期に発達させるべき課題が明確に異なっており、第1七年期の子どもは模倣を通して自分のまわりの世界に出会い、人生の土台となる健全な身体をつくる時期です。彼らはまだ自他の区別が大人のようにはっきりしていません。それが最初に自分で意識し始めるのは9歳になった頃からです。彼らに必要なことはリズムと繰り返しのある生活の中で、ファンタジー豊かな遊びを通して意志を育てることです。

そして歯牙交替で身体形成から解放されたエーテル体は、学習に向けられることが可能になります。その主な舞台となる第2七年期に、子どもは教師を素直に仰ぎ見ることができます。その自然な権威の感情をペースに、自分のまわりから始まり、やがて世界について豊かに学んでいきます。この時期に権威というものを体験できた子どもは、大人になってから権威に対して歪んだ感情を持つことはなくなることでしょう。

第2七年期の終わりに解放されたアストラル体は、第3七年期のこの時期になってようやく思考を重点的に鍛えることに使用されます。

そして21歳になる頃、このころになってようやくシュタイナー教育の最終的な目的が見えてきます。自我が身体全体に浸透し、本当の意味で身体がその子ども自身のものになることができます。それはその子どもがこの世に生まれてきた使命を果たすための道具として、自分の身体を使いこなすことができるようになるということです。

両親や子どもに関わる教育者は子どもにどのように成長してほしいのか、どんな大人になってもらいたいのか、日々の生活に追われながらも考えます。その子がその子らしく、自分らしく、幸せになって欲しいと。そして子どもも自身も将来あんなことをしてみたい、こんな仕事をしてみたいと思うようになるでしょう。

愛にあふれ、勇気があり、智恵があり、思慮深く、慈しみ深く、人に優しく、寛容で、勤勉で、自由で、のびのびとしていて、真面目なんだがユーモアがあって、バランスの取れている人。制限や枠にとらわれない自由な発想が出来て、創造性、柔軟性のある人。芸術を愛する人。決断力、行動力、包容力のある人。自分自身で物事を判断したり決断できること。人や物を大切にできる人。手先の器用な人。囚われのないものの見方ができる人。そういう人に育てるためにはどうしたらよいのか。そのための具体的な方法論がシュタイナー教育なのだろうと思います。

ところで感覚といえば、それによって世界を知覚するための器官のことを指しますが、一般的には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つを言います。ところがシュタイナーは人間には12の感覚が備わっていると述べています。それらをまず列挙してみると触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚、嗅覚、味覚、視覚、熱感覚、聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚です。

シュタイナーはこれらを3つのグループに分け、触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚を下位感覚(身体感覚)、嗅覚、味覚、視覚、熱感覚を中位感覚(魂的感覚)、聴覚、言語感覚、思考感覚、自我感覚を上位感覚(霊的・精神的感覚)と名付けました。それぞれのグループには特に発達させるべき時期があり、下位感覚は幼児期(第1七年期)に、中位感覚は学童期(第2七年期)に、上位感覚は青年期(第3七年期)とそれぞれ異なった時期が設定されています。

私たち幼児教育者は子どもたちの下位感覚をいかに育てていくかということが日々の保育の主要課題となります。それは同時に上位感覚を育てることにもつながっていきます。つまり子どもたちの人生の基盤となる身体感覚を育てることによって、将来の霊的・精神的なものを受肉するための器を用意することになるのです。

シュタイナーによればそれぞれの感覚は、ある対象に向かって単独に働くものではなく、通常の場合複数の感覚が同時に働いて、多様な印象を受け取っています。また12感覚は個別に理解しうるものではなく、1つの全体を表しています。

2014.11.08

手作りライアー

手作りライアーによる演奏(曲名はW.A.モーツァルトのアンダンテ)

これは2003年に土曜学校の子どもたちと作ったライアーです。

弦の張り替えを依頼されました。

2004年にはこのライアーを使って発表会をしました。

とても小さ­な音しか出ない楽器なので、

お客さんたちが皆さん聴こうとして耳­をすました瞬間、

会場にシーンと静けさが充満したのが、

演奏して­いてはっきりと感じ取るという経験をすることができました。

2014.11.07

幼児園きのこの保育

IMG_0851

幼児園きのこの教員は愛知シュタイナー学園の専科教員も兼任しています。毎週木曜日に音楽と彫塑、ライアーの授業に出かけています。これは幼児園きのこが第二7年期以降も見据えた保育を行うことができる利点だと考えています。

2014.11.05

今日は何が釣れるのかな?


今日は一校、就学児検診があって早帰りだったので、パスタ給食を一緒に食べて、昼からは特別体制になりました。いつもなら食後は人形劇を観て、お昼寝します。

2014.11.04

シュタイナートゥデイ

IMG_0855

この連休はシュタイナートゥデイに連載する記事を書くことに費やされた。3回目となる今回は帰国後から今日までの歩みについて書いた。宜しければ読んでみてください。

購読ご希望の方

2014.11.03

CD詳細

長年の夢だったCDができました。

アマゾンでのご購入

Yahoo!ショッピング

 

1.プレリュード ハ長調 J.S.バッハ

この曲は随分前にある方が講演会の後にライアーで演奏されていたのを聴­いて、いつかは自分もあんなふうに弾けるようになりたいなと思っ­て憧れていた曲なのです。しかしいざ練習を始めるとなかなか手強くて­、1パートずつ覚えながら、まるで1段ずつ積み木を積み上げてい­くような感じで覚えていきました。運指も自分なりに工夫をしてみ­ました。それまではライアーを弾くのに「親指は使わないものよ」­みたいな思い込みがありましたが、必要に迫られて「ああっ、こん­なところに親指があるじゃないか」みたいな発見があって、それか­らは意識的に親指を使うようになりました。ほとんどの弦を使って弾く曲なので、音が狂っている弦もわかりま­すし、今では指慣らしのためにほとんど毎日弾いているほど、私に­とってはとても大切な曲です。

0521_64

2.ゲールの歌 W.フリーベ

1台のライアーでメロディーと伴奏を同時に演奏した曲です。アイルランドやスコットランドでごく少数の人がゲール語を話すことができるそうです。

0521_74DSC01959i

3.お星さまとお日さまをこえて エドムント・プラハト

この曲には2つの思い出があります。スイスに彫刻の勉強のために­留学していたとき、ズンナ・ホフマンという同級生の女性にライアーを習っ­ていたのですが、習い始めて少したってから障害者のグループホーム­へ出張演奏に行った帰りに、彼女の友人がシュタイナー医療を行うイタベークマン・クリニ­ックで出産したからお祝いに行こうということになりました。そこにはピンクの­天蓋に覆われた可愛いベッドがあり、うまれたばかりの眠っている赤ちゃんに、とても小さ­な音で、とてもゆっくりとこの曲を弾いてあげたことがありました。もうひとつはだいぶ前の話になりますが、6年生の子どもたちと一緒­にライアーを作って、その音色を皆さんに披露しようということで­、ライアーコンサートのひとコマをいただいたのですが、とても小さ­な音しか出ない楽器なので、お客さんたちが皆さん聴こうとして耳­をすました瞬間、会場にシーンと静けさが充満したのが、演奏して­いてはっきりと感じ取るという経験をすることができました。

0521_82DSC01967i

4.天の国から J.S.バッハ

「天の国からここへ 良き知らせを伝えん 新しき良き知らせを それを歌い語ろう」というルカ伝第2章の歌詞があります。先日のあいち子育てフェスタ(2014年7月26日~27日)のときに、あらはし館のブースのところで私のCDを並べて店番をしていたら一人の女性がやってきて、このCDを演奏されているのは誰ですかとお尋ねになられたので、「はい、私です」とお答えしたら、その方が「実は私はヨガのインストラクターをしていますが、この曲をヨガをするときに使わせてもらっています」とおっしゃられてとてもうれしい気持ちになりました。

5.アダージョ A.コレリィ

以前ライアーのレッスンをさせていただいた方の紹介­­で、自宅の近くの総合病院に入院していた2人の青年と知り合い­ま­した。2人とも交通事故などで意識不明の重体でした。そんな­彼ら­に私のような者が何も出来るはずもないのですが、ライアー­を手に­集中治療室に通されました。沢山の計器につながれているベッドの前で、とても厳かな気持ちでこの曲を演奏さ­せていただ­きました。

6.アンダンテ W.A.モーツァルト

2005年に名古屋市で開催された、シュタイナー教育展・笹島サテライト会場のオープンで演奏させていただいた曲です。

7.グリーンスリーブス イングランド民謡

1台のライアーでメロディーと伴奏、さらにベースを加えて演奏した曲です。

8.思い出の庭 W.B.イェーツ

1台のライアーでメロディーと伴奏、さらにベースを加えて演奏した曲です。

0521_113

9.アーウィンに捧ぐ O.カロラン

メロディーのみから始めて、伴奏さらにベースを加えていった曲です。

10.主よ人の望みの喜びを J.S.バッハ

低音部との調和やコラール部の強調を意識して演奏しました。

0022

11.平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番より J.S.バッハ

この曲はキリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘への道を登っていくありさまを、バッハがイメージして作られたものとして伝わっています。10年以上前にスイスのゲーテアヌムでこの曲を使ったオイリュトミーを観てから、弾けるようになりたいと思って練習しました。このアルバムのタイトル「祈り」は、この曲のイメージから名付けました。

12.マーチ ニ長調より J.S.バッハ

ライアーでの演奏曲はテンポのゆっくりしたものが多いですが、これはかなり早いほうの部類に入ります。低音部との調和を大切にしました。余談ですが、以前派遣演奏でバイオリンの方と一緒にクラブでこの曲を演奏したこともありましたが、ライアーは私をいろんなところへ連れて行ってくれる通行手形のようなものでもあります。

0521_100DSC01985i

13.春のあいさつ Nun will der Lenz uns grüßen ナイトハルト・ロイエンタール/W.フリーベ

ドイツの古い民謡(13世紀)です。厳しい冬から、暖かい風に乗って春がやって来る喜びを歌い上げます。

 

購入者さまの声

CD届きました!ああ、やはり村上さんは作家であり、作品を世に出す方だったんだなぁ、というのが強烈な第一印象です。この一弦一音にどれだけの労作が詰まっているのだろう、響きを紡ぎ出しているのだろうと・・・。なにより、木のあたたたかさ、いのちが感じられてきます。なんと表現したらいいのでしょう、楽器が鳴りたがっている響きをすっと取り出し、空間に解き放っているとうか。あぁ、言葉にならない。本当に、ありがとうございました!一曲目からの流れがすべてつながった感じで。終曲の、ゆったりした「あいさつ」で完全ノックアウトです。「これだけでも聴いていただければ」なんてとんでもない、すばらしいプログラムでした。私も良く弾く曲もあったのですが、弾き手が違うと印象も深みもここまで違うのか、とかなりの衝撃を受けました。ライナー・ノート、CDを全部聴きおわってから開いたのですが、私が質問したかったことが全部書いてあって、もう至れり尽くせりだな、と。(Oさま)

 

CDが届きました。早速聴かせていただきました。いい響きですね。心が洗われるようです。ありがとうございます。ぼくは音楽といえばバッハという人なので、バッハが4曲も入っているのもとてもうれしく思いましたし、タイトルの「祈り」の由来を書かれていたゴルゴタへの道。とても沁みてきます。ベートーヴェンやシューベルトの晩年のピアノソナタにもそうしたシーンを思わせる曲がありますが、共通するものがありますね。コレルリの曲が入っているのもまた、なんと(^^) 愛聴盤になりそうです。(Dさま)

 

今日届きました。とても言葉にはできない美しい音。私もこんな風にやさしくおだやかにライアーを弾くことが出来たら… 東京で演奏されるのですね。生の演奏聴きに行きます!!(Yさま)

 

素晴らしく癒されます

このCDに込められている音楽には、音以上の気持ちが込められています。きいていてほろっと泣きたくなるような、あったかい気持ちになります。ライヤーという楽器を聴いたことがない方にもおすすめします。1人でゆっくりひっそり聴いていただきたいと思います。私は育児の合間に聴いて癒されています♪(Kさま)

2014.11.02

「彫刻、それは素材に生命を与える芸術」

彫刻作品を制作するとは具体的にはどのようなことなのでしょうか。私が平成18年11月24日~平成19年7月24日に渡って制作した「祈りびと」を例に挙げてみましょう。

これは高さ90㎝、直径30㎝程の丸太から彫り出した作品です。私がこれまでに手がけたものとしては最大のものです。材料が大きすぎて1人では取り回しができず、従来の作品ならば木工台の上に載せて固定してから彫り始めますが、それも不可能な大きさだったため、初めての試みでしたが、床に直に置いて木工台の柱に紐で結わい付けた状態で彫り進めていきました。

丸太の場合は外から見たときは大丈夫そうでも、内側の状態はどうなっているのかはわかりません。それは彫ってみないとわからないものです。さて、この材料の場合はどうだったかというと、まず硬さが均一ではなく、彫っていくうちにだんだん亀裂が生じました。しかも枝分かれしている部分が腐食しており、思わずどうしたものかと考え込んでしまいました。しかし私はこれらのアクシデントを+αの贈り物として捉えて、作品の味わいをより深めるものとして生かすことはできないだろうかと考えて、制作を続けました。

このように木彫の場合ですと、まず素材としての木材があり、それを作家が彫刻刀とハンマーを使ってだんだんとカタチを彫り出して完成させていきます。それは別の言葉でいうならば、まだこの地上に現れていないカタチを、地上の素材を使って顕現させる行為と言えるでしょう。制作過程はひたすら個人的で、かつ内的な作業がほとんどで、しかもそれが長期に渡ることもあり、孤独と忍耐が強いられます。正直、途中で投げ出したくなることもしばしばありますが、作品そのものが完成まで導いてくれるように思います。それは私が作品に対して微かではありますが、生命の灯を感じるからなのかもしれません。また時には勇気を試される場面にも出くわします。なぜなら一度削ってしまったものは、粘土と違って元には戻せないからです。ほんのわずかな変化でも、全体のバランスを大きく変えてしまいます。

そのような制作期間を経て、出来上がった作品はやがて個人の手を離れて、作家の意図とは関係なく、観る人にそれぞれに自由で、かつ個別の印象を与えます。

この作品は完成後に私にこんなイメージを与えました。「巡礼者があるとき啓示を受け、天を仰いで感謝の祈りを捧げる・・・。苦難に満ちた道のりではあるが、いつか差し入る光を求めて歩き続ける」。

IMG_0800

YouTube動画

ライブストリーミング

チャンネル登録者が100名を超えると、

ライブ中継が可能になります。

幼児園きのこ

「幼児園きのこ」で私たちが行おうとしていること、それは子どもたちによりよい生活の場を提供すること。それは例えば毎日決まった時間に起きて食事をするといった普段の生活の中に、呼吸をするようなリズムや繰り返しがあることで、子どもたちは安心して成長することができます。

0008
木の実や木片、貝殻や石などの自然素材をおもちゃとして使う子ども自身の自由な発想を促す遊び、毎日繰り返されるライゲン(うたあそび)、メルヘンを通して子どもたちのファンタジー(創造性)やさまざまな感覚を豊かに育てること。それらの体験は後の人生で独自の発想力やモチベーション、自発性といった、人間がよりよく生きていくための力に変容していく基礎となるからです。

 0521_57DSC01942i
そのような日々の積み重ねのプロセスは、子どもたちの成長しようとする意志を育み、子どもたちを元気にして、免疫力を強めることに通じると思います。そして人生の土台となる健全な身体をつくる大切な時期ですので、子どもたちが口にするものにも配慮していきたいと思います。

 0112
私たちは幼い子どもたちのファンタジー(創造性)をより豊かに育てることに力を注ぎたいと考えます。なぜならそれは彼らが大人になったときに、自分が出会う物事に生き生きとした興味や関心を持ち、それらに対して自分がいかに積極的かつ創造的に関わることが出来るかに関係があるからです。

0033
また、幼児期の子どもは模倣をすることによって、自分のまわりの世界と出会っていきます。彼らはまだ自他の区別が大人のようにはっきりしていません。それが最初に自分で意識し始めるのは9歳になるころからです。子どもが自身がこの世に生まれてきたことを肯定でき、大人になったときに自分の身体を自由に使いこなして、それぞれの課題に取り組むことができるようになってほしいということが私たちの願いです。

0521_62DSC01947i
時代がいくら変わろうとも、子どもの成長・発達は変わらぬものであり、全世界で共通な普遍性のあるものと言えます。どのような状況や環境の中でも、私たちは私たちに託された目の前にいる子どもたちの成長のために何ができるのか、何がその助けになるのかをいつも心に留め置いて、日々の保育にあたりたいと思います。

0016

お問い合わせ

http://arahashi.co.jp/

CD発売

長年の夢だったCDができました。ジャケットの写真は私の彫刻作品です。

長年の夢だったCDができました。

 

アマゾンで発売中

http://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=as_li_qf_sp_sr_il?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&index=aps&keywords=B00D1FQCJ4&linkCode=as2&tag=satosch-22

CD試聴ページ

http://www.satosch.com/11.mp3
CDの試聴ページを作ってみました。
(平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番より J.S バッハ)

http://www.satosch.com/11.mp3
CDの試聴ページを作ってみました。
(平均律クラヴィーア曲集第1巻 第24番より J.S バッハ)

作品概要1

村上 智(むらかみ さとし)

1963年、名古屋市生まれ。1989年より98年までやまさと保育園(シュタイナー教育実践園・名古屋市)に勤務。1999年よりスイス・ドルナッハにあるゲーテアヌム彫刻学校に留学。在学中にズンナ・ホフマン(治療教育家)よりライアーを学ぶ。2002年、同校卒業後帰国する。現在は制作活動と並行して小学生から成人までの彫塑の講座を持つ。ライアー演奏、指導にも力を注いでいる。ライアー響会会員。名古屋市在住。

WEBサイトhttp://homepage3.nifty.com/~satoshi/b.htm

 

 

clip_image001clip_image003

 

 

作品名 霊へと至る萌芽
制作期間 平成15年3月11日 ~平成15年8月9日
材質 トネリコ
第1ゲーテアヌムの太陽柱柱頭のモチーフを制作者の意志によって変容させた作品。1つの源から発するインプルスが過去から現在、そして未来へのプロセスを経る中で無数の分離と結合を繰り返す。時に協調し合い、また反発しながらも新たなうねりを生み出し、未知の様態を表現し続ける。

clip_image005 clip_image007

 

 

 

clip_image009

ライアー

自らも演奏するこのライアーという楽器には格別の思い入れがあり、何度も制作を試ている。本昨品は1枚のトネリコの板からノミだけを使って形を探りながら彫り出したもの。形状による音色の変化や弦の張り方などが今後の課題として残った。本作品は現在土曜学校での彫塑の授業の前に歌の伴奏用として使っている。

今回写真は割愛したが、他にもライアーを立てる台、燭台、額、などの制作も試みた。本年はこの後、キリスト者共同体名古屋準備会より祭壇の7本の燭台の制作を依頼されている。

 

 

 

clip_image011 

作品名 初音 (はつね)

制作期間 平成16年7月15日 ~8月19日(粘土による模型制作)

平成16年8月24日 ~平成17年3月24日 (本作品)

材質 トネリコ

本作品は現在愛知県豊田市にあるシュタイナー医学を実践するクリニックに設置されている。ライアーを奏でる人物を表現した。本作品の持つ空間にライアーの清らかな響きが重なり合い、新たな印象が創造されるように試みた。

作品概要2

 
 

村上 智(むらかみ さとし・MURAKAMI SATOSHI)

1963年、名古屋市生まれ。1989年より98年までやまさと保育園(シュタイナー教育実践園・名古屋市)に勤務。1999年よりスイス・ドルナッハにあるゲーテアヌム彫刻学校に留学。在学中にズンナ・ホフマン(治療教育家)よりライアーを学ぶ。2002年、同校卒業後帰国する。現在は合同会社あらはし館共同代表。また愛知シュタイナー学園と名古屋シュタイナー土曜学校山里の森で小学生の彫塑と音楽の授業を受け持つ。ライアー響会会員。名古屋市在住。

WEBサイト http://www.satosch.com/

平成18年1月23日~平成18年6月13日

母子像

以前は厚板を何枚も貼り合わせてブロック状にしたものから彫り出すという手法をとっていたが、丸太から直接削り出した座像作品。新生児を腕に抱きかかえている女性。衣服のドレープの曲線で女性らしい柔らかさを表現しようと努めた。また子どもを支える手のしぐさは子どもへの深い愛情に満ちたものとなるように試みた。天界から授かった子どもを、母親が手を高く前に差し伸べて、自分の元へ受け止めようとしている心情をともに表現できたのではないかと思う。

clip_image002

 

 

平成18年9月4日~平成18年11月9日

母子像

高さ60㎝。初めての人物の立像作品。しっかりと子どもを抱き止めて、この子とともに前に歩み出そうとしている。母親の両手が子どもを優しく覆い、子どもは安心して母の胸で眠っている。母子を密着させることによって、より一体感を出したかった。母親の衣服の幾重にも折り重なった大きな襞は子どもを大切に包み込み、子どもを守る覆いとなっている。襞の流れが全体にアクセントをもたらしている。背面はすっきりとさせ、より中心とともに歩む意志を感じさせることが出来たのではないかと思う。

「祈りびと」と同じ木から彫り出した。

clip_image004

 

 

平成18年11月24日~平成19年7月24日

祈りびと

高さ90㎝、直径30㎝程の丸太から彫り出した作品。自身の作品としては最大。材料が大きすぎて1人では取り回しができず、従来の作品ならば木工台の上に載せて固定してから彫るのだが、それも不可能な大きさだったので、初めての試みだったが、床に置き木工台の柱に紐で結わい付けて彫り進めた。丸太は彫ってみないと中の状態がどうなっているのかわからないが、この材料は硬さが均一ではなく、彫っているうちに亀裂が生じ、しかも枝分かれしている部分が腐食していた。しかしこれらのアクシデントを+αの贈り物として、作品の味わいをより深めるものとして生かしたいと考えた。

巡礼者があるとき啓示を受け、天を仰いで感謝の祈りを捧げる・・・。苦難に満ちた道のりではあるが、いつか差し入る光を求めて歩き続ける。

clip_image006

 

 

平成18年7月14日~平成18年7月21日

ダルマ

ダルマなので揺すっても元通りに起き上がらなくてはならない。そのための構造には少々手こずった。二つに割った箇所を修正するために、初めて漆塗りで仕上げをしてみた。手も足も出ない状況から脱したいという願いも込めて制作した。

clip_image008

 

 

平成20年5月 キンダーハープ

アウディオペーデ(聴く器官の養成講座)での学びも並行して始め、より響きに対しての感受性が高まり、それが楽器作りにも反映された。

clip_image010

 

 

2006年に4月に第1回の作品展を行った。それ以前は抽象的なものから、より具象的なものへ作風が変化しつつある時期であった。外観は抽象的であっても、モチーフとしては内から外または外から内への力を表出したものであったり、時としてそれが自然界に存在する同様のものと結びつくこともあるが、彫刻作品としてそれを外観から感じ取ることができれば成功したと言えるだろう。それ以降の作品は人物像が多くを占め、具象的という範疇に収まりつつも、葛藤や混沌などと言った、より内面的なモチーフを身体のしぐさや顔の表情から表出できればと願いながら作品を生み続けている。

« October 2014 | Main | December 2014 »

バナー

April 2019
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ